続きです。
その後点呼が完了し、欠員、負傷者が居ないことを確認。
各自解散となった。
同じ職場のメンツはとりあえず敷地の外にある自分の居室がある建物に歩いて移動することに。
たどり着いたら宿舎の外で皆待機していた。
また、後から何人か遅れてやってきた人もいて、高速道路で移動中に地震に遭い、片側車線が崩落している脇をすり抜けてやってきたという話を聞いたりした。
また、ここでラジオやカーナビのワンセグ放送による詳細な情報が聞けるようになってきた。
途中、iPhoneなどによる情報も貴重だったが、やはり放送による情報もやはり大きな意味を持つ。
(反省4: 災害時において情報は生命線。情報収集できる端末を至る所においておくと役に立つだろう。)
なお、私は職場の人員掌握担当者なのだが、内線も携帯電話も全くつながらず、何の意味もなかった。
皆で話しているうちに、「リストを作ることにしよう」ということになって、確認できた人を紙で名前を書いていくということにした。
その後、帰宅した人などにチェックを入れたり、安否を確認するための携帯番号などをリストに加えたりしたのだが、後でこういう情報が必要だと気づいたため、一部チェックできなかった人が居た。
(反省5: 緊急時の体制についてはもっとよく考えておくべき。本当に大変なときに電話がつながるわけがない。また、担当者を決めるのも大事かもしれないが、今回の私みたいに仕事の都合ですぐ近くに居ない可能性は非常に高い。誰が中心になっても大丈夫なようにルールを決めておいた方が良いように思う。)
日が落ちきる前に明かりを確保するため、懐中電灯などを求めて居室のある建物に侵入。
部分的に壁が欠けたり天井がはがれかけていたりしてほこりっぽい。
部屋は散らかっていたが、思ったほどではなかった。
給湯室と事務室でポットと懐中電灯、電池、そして若干のお菓子を手に入れた。
今にして思うと冷蔵庫の中もチェックし、水を確保した方がよかったかもしれない。
続きます。
つくばの部分給水が開始されました。
これでずいぶんと楽になります。
ただ、明日から計画停電が始まると言うことで、まだまだ予断は許しません。
2011/03/13
生存報告(1)
東北地方太平洋沖地震が起きた3月11日14時46分、東海村のJ-PARCに居ました。
今はつくばに移動してきて一息ついた状態です。
上水はまだ復旧していませんが、十分生きていけます。
この出来事を忘れないためにも、今覚えている事を時系列で記録しておきます。
地震の当時、担当装置の制御室で業者さんと打ち合わせを行っていたところ、窓ガラスが鳴る音から地震に気づく。
弱い振動が長く続いていたため遠くで強い地震が起きたのではないかと予感し、少し緊張し始める。
徐々に揺れが強くなりはじめ、かなり大きな地震だと認識。
揺れが非常に長く続いた後、このまま弱まりそうな気配を感じて少し安心したところ、ドン!と立っていられないほどの大きな横揺れが。
その後、強い揺れが続きながらも徐々に弱くなっていった。
(反省1:机の下に隠れておいた方がベターだった)
どのタイミングかははっきりと覚えていないが室内は非常灯を残し完全停電。
鞄と上着を急いで装着して制御室を飛び出たところ、周りにも多くの人が居て揺れが完全に収まるのを待つよう指示された。
最初、通常出口に向かって逃げようとしたのだが、すぐそばに非常口があることを指摘され、扉を開いて脱出。(反省2:非常口は常に認識しておくべき)
建物の外周は明らかに沈下しており、1mほど沈んでしてしまっている箇所もあった。
周りの人と当時の状況と揺れの恐怖について話をしながら駐車場に移動。
ぱっと見る限りけがをしている人は居ないようだ。
人員点呼が始まったが、どうも海の方から「ゴゴゴゴゴ」と低い音が聞こえているような気がした。
地震の後ということで津波を強く懸念していたのだが、点呼は続けられている。
駐車場は海にかなり近いので早く逃げなくて良いのかとやきもきしていたのだが、iPhoneで津波警報が出ていることを教えてくれるとの情報が入り、少し高い場所に向かって移動し始める。
(反省3:ここで津波の危険があることを強く主張すればよかった)
移動中、道路に大きな段差が多く見られた。
幸い、退避に使う道路は大きくても10cm弱の段差だったが、数mに渡って50cmほど沈下している箇所もあったようだ。
無事、別の建物の駐車場に移動したところ、3階から窓が外れて車に直撃していた(当然車は破損)。
建物から逃げてきた人に話を聞いたところ、中は棚が倒れてひどいことになっているらしい。
そうこうしていると強めの余震があり、緊張が走る。
本震に比べれば弱く、被害はなかったが、建物は左右に大きく揺れていた。
この建物は古いため、耐震強度が弱かったのかもしれない。
長くなりそうなので、まずはここで一区切り。
続きはまた書きます。
なお、私は非常に恵まれた状況にあり、不便ながらも通常の生活に戻ることができています。
一方、もっと被害がひどかった地域の方は生きていくのも困難な状況にある方がたくさんいるかと思います。
一人でも多くの方が生存できること、そして一刻も早く復旧が完了することを心からお祈りします。
今はつくばに移動してきて一息ついた状態です。
上水はまだ復旧していませんが、十分生きていけます。
この出来事を忘れないためにも、今覚えている事を時系列で記録しておきます。
地震の当時、担当装置の制御室で業者さんと打ち合わせを行っていたところ、窓ガラスが鳴る音から地震に気づく。
弱い振動が長く続いていたため遠くで強い地震が起きたのではないかと予感し、少し緊張し始める。
徐々に揺れが強くなりはじめ、かなり大きな地震だと認識。
揺れが非常に長く続いた後、このまま弱まりそうな気配を感じて少し安心したところ、ドン!と立っていられないほどの大きな横揺れが。
その後、強い揺れが続きながらも徐々に弱くなっていった。
(反省1:机の下に隠れておいた方がベターだった)
どのタイミングかははっきりと覚えていないが室内は非常灯を残し完全停電。
鞄と上着を急いで装着して制御室を飛び出たところ、周りにも多くの人が居て揺れが完全に収まるのを待つよう指示された。
最初、通常出口に向かって逃げようとしたのだが、すぐそばに非常口があることを指摘され、扉を開いて脱出。(反省2:非常口は常に認識しておくべき)
建物の外周は明らかに沈下しており、1mほど沈んでしてしまっている箇所もあった。
周りの人と当時の状況と揺れの恐怖について話をしながら駐車場に移動。
ぱっと見る限りけがをしている人は居ないようだ。
人員点呼が始まったが、どうも海の方から「ゴゴゴゴゴ」と低い音が聞こえているような気がした。
地震の後ということで津波を強く懸念していたのだが、点呼は続けられている。
駐車場は海にかなり近いので早く逃げなくて良いのかとやきもきしていたのだが、iPhoneで津波警報が出ていることを教えてくれるとの情報が入り、少し高い場所に向かって移動し始める。
(反省3:ここで津波の危険があることを強く主張すればよかった)
移動中、道路に大きな段差が多く見られた。
幸い、退避に使う道路は大きくても10cm弱の段差だったが、数mに渡って50cmほど沈下している箇所もあったようだ。
無事、別の建物の駐車場に移動したところ、3階から窓が外れて車に直撃していた(当然車は破損)。
建物から逃げてきた人に話を聞いたところ、中は棚が倒れてひどいことになっているらしい。
そうこうしていると強めの余震があり、緊張が走る。
本震に比べれば弱く、被害はなかったが、建物は左右に大きく揺れていた。
この建物は古いため、耐震強度が弱かったのかもしれない。
長くなりそうなので、まずはここで一区切り。
続きはまた書きます。
なお、私は非常に恵まれた状況にあり、不便ながらも通常の生活に戻ることができています。
一方、もっと被害がひどかった地域の方は生きていくのも困難な状況にある方がたくさんいるかと思います。
一人でも多くの方が生存できること、そして一刻も早く復旧が完了することを心からお祈りします。
2011/02/11
twitterログ
始めて間もないということもあり、割とtwitterの更新が続いております。
ただ、自分もそうであったように、おそらくtwitterをやっていない人は読まないんだろうなぁとふと気づきました。
「ブログ更新しないの?」攻撃から逃げようと思って始めたのにこれでは意味がない、ということでうまいことやってくれるサービスを探してみました。
http://twilog.org/nlyamada/asc-norep
↑だとかなり見やすい感じになってるので、普通のブログのように読めると思います。
あと、ブログの脇にtwitterのログを表示する、というのもあったのですが、これもやっぱり自分自身見なかったのでとりあえずこれで運用してみることにします。
あ、ちなみにちょっと長い文章書くときはblogの方が便利なので、こっちをなくすつもりはないです。
しかし、ホームページ→ブログ→twitterと流行が変遷してますが、大事なのは「気軽さ」みたいですね。
確かにtwitterは更新するのに心のバリアが低いです。
うまいこと考えたなぁとちょっと感心してますが、難点はただの文章の羅列にしかならないことでしょうか。
ブログもホームページよりは更新しやすいけど、短くても「まとまった文章」なので、なかなか書くことが思いつかないです(それとも単に文章力がないだけ?)。
一方、研究のこととかちゃんとPRしようと思うといちばんまとまった形で情報発信できるホームページですね。
とりあえず、気軽さ故の失言をしないよう気をつけたいと思います。
お仕事用だし。
ただ、自分もそうであったように、おそらくtwitterをやっていない人は読まないんだろうなぁとふと気づきました。
「ブログ更新しないの?」攻撃から逃げようと思って始めたのにこれでは意味がない、ということでうまいことやってくれるサービスを探してみました。
http://twilog.org/nlyamada/asc-norep
↑だとかなり見やすい感じになってるので、普通のブログのように読めると思います。
あと、ブログの脇にtwitterのログを表示する、というのもあったのですが、これもやっぱり自分自身見なかったのでとりあえずこれで運用してみることにします。
あ、ちなみにちょっと長い文章書くときはblogの方が便利なので、こっちをなくすつもりはないです。
しかし、ホームページ→ブログ→twitterと流行が変遷してますが、大事なのは「気軽さ」みたいですね。
確かにtwitterは更新するのに心のバリアが低いです。
うまいこと考えたなぁとちょっと感心してますが、難点はただの文章の羅列にしかならないことでしょうか。
ブログもホームページよりは更新しやすいけど、短くても「まとまった文章」なので、なかなか書くことが思いつかないです(それとも単に文章力がないだけ?)。
一方、研究のこととかちゃんとPRしようと思うといちばんまとまった形で情報発信できるホームページですね。
とりあえず、気軽さ故の失言をしないよう気をつけたいと思います。
お仕事用だし。
2011/02/05
つぶやきはじめました
ブログに書くほどでもないなぁ、と思う心に移りゆくよしなしごとが多いことに気づいたので、「ついったー」なるものにそこはかとなく書きつくってみようかと思います。
まだ使い方がちゃんとわかってないのですが、多分↓でみれるのではないかと。
http://twitter.com/nlyamada
(ユーザー名はnlyamadaです)
すぐに飽きるかもしれませんが、そのときはそのときということで。
まだ使い方がちゃんとわかってないのですが、多分↓でみれるのではないかと。
http://twitter.com/nlyamada
(ユーザー名はnlyamadaです)
すぐに飽きるかもしれませんが、そのときはそのときということで。
2010/12/23
仕事納め
ちょっと早いのですが、昨日で今年の仕事納めにしました。
お盆休みもとれなかったし、たまにはいいよね、と気楽に考えていたのですが、休み中、自分の代わりに対応する人がいるわけだよなぁと思うとちょっと心苦しい…
とはいえ、やるべきことは一通り片付けたし、居室の掃除もしたし、忘年会もやりました(飲み過ぎたけど)。
今日からは実家に帰ってきてます。
週末はちょっくら旅行に行ったりして休みを満喫したいと思います。
あ、原稿が宿題として残ってるのでそれは片付けないと。
それではみなさん良いお年を。
お盆休みもとれなかったし、たまにはいいよね、と気楽に考えていたのですが、休み中、自分の代わりに対応する人がいるわけだよなぁと思うとちょっと心苦しい…
とはいえ、やるべきことは一通り片付けたし、居室の掃除もしたし、忘年会もやりました(飲み過ぎたけど)。
今日からは実家に帰ってきてます。
週末はちょっくら旅行に行ったりして休みを満喫したいと思います。
あ、原稿が宿題として残ってるのでそれは片付けないと。
それではみなさん良いお年を。
2010/12/06
さよならARISA
↓にも書いたのですが、私が面倒を見ている装置"ARISA-II"が最後の日を迎えました。
http://bl16.blogspot.com/2010/12/arisa-ii.html
といっても新しい装置がまたすぐに入ってくるのですが、この2年間、苦労しながら世話し続けてきた装置だけに心に響くものがあります。
作業中、「あ~、跡形もなくなってくなぁ」と思った瞬間、ちょっとセンチメンタルな気分になってしまいました。
思えば5年前、KEKにポスドクとして移ってきた時に実験したのが最初のふれあいでした(正確に言うと見学をしたことはある)。
その1年後にKEKの中性子源がシャットダウンするときも少し感慨にふけったものですが、今回ほどではなかったように思います。
単純に年齢を重ねたからなのか、それとも思い入れが強くなったからなのか。
まぁ、きっと後者でしょうね。
ARISA-IIのお世話を通じて、多くのことを学びました。
それを次の装置に生かすのはもちろんのこと、さらに多くのことを学んでいきたいですね。
あ、あと本格的に自分の実験もしないと。
ネタはいくつか仕込み中です。
http://bl16.blogspot.com/2010/12/arisa-ii.html
といっても新しい装置がまたすぐに入ってくるのですが、この2年間、苦労しながら世話し続けてきた装置だけに心に響くものがあります。
作業中、「あ~、跡形もなくなってくなぁ」と思った瞬間、ちょっとセンチメンタルな気分になってしまいました。
思えば5年前、KEKにポスドクとして移ってきた時に実験したのが最初のふれあいでした(正確に言うと見学をしたことはある)。
その1年後にKEKの中性子源がシャットダウンするときも少し感慨にふけったものですが、今回ほどではなかったように思います。
単純に年齢を重ねたからなのか、それとも思い入れが強くなったからなのか。
まぁ、きっと後者でしょうね。
ARISA-IIのお世話を通じて、多くのことを学びました。
それを次の装置に生かすのはもちろんのこと、さらに多くのことを学んでいきたいですね。
あ、あと本格的に自分の実験もしないと。
ネタはいくつか仕込み中です。
2010/10/07
パブコメ
最近、学会とか職場の上司から「パブリックコメント書け」って指令が増えてませんか?
個人的には「面倒くさいなぁ」というのが本音なのですが、民主主義とは面倒くさいもの、ということで書いてみることにしました。
最近指令がきたのはこれ↓
http://seisakucontest.kantei.go.jp/
いわゆる政策コンテストで、要するに決められた予算枠から各省庁がコンペで予算要求する、というものです。
仕事上、文部科学省の提案に対してコメントするわけですが…う~ん、微妙。
意図することは理解できるのだけど、やり方が今までと変わってないって感じでしょうか。
正直に現場の感想をつらつらと書いたのですが、果たして学会的に、職場的にプラスになったのかは少々疑問です。
ただ、こういう「政治に参加してる」感のあるイベントというのも悪くない気がしました。
選挙より能動的に動いている気分になれるということかもしれません。
言ってしまえば江戸時代の「目安箱」ですが、伝わる「かも」しれない自分の意見を主張できる場というのは民主主義において非常に大切なことではないかな、という気がします。
逆説的に言うと、目安箱って割と先進的なシステムだったのかもしれませんね。
この3連休にでも他の省庁の政策にコメントだしてみようかなぁ。
個人的には「面倒くさいなぁ」というのが本音なのですが、民主主義とは面倒くさいもの、ということで書いてみることにしました。
最近指令がきたのはこれ↓
http://seisakucontest.kantei.go.jp/
いわゆる政策コンテストで、要するに決められた予算枠から各省庁がコンペで予算要求する、というものです。
仕事上、文部科学省の提案に対してコメントするわけですが…う~ん、微妙。
意図することは理解できるのだけど、やり方が今までと変わってないって感じでしょうか。
正直に現場の感想をつらつらと書いたのですが、果たして学会的に、職場的にプラスになったのかは少々疑問です。
ただ、こういう「政治に参加してる」感のあるイベントというのも悪くない気がしました。
選挙より能動的に動いている気分になれるということかもしれません。
言ってしまえば江戸時代の「目安箱」ですが、伝わる「かも」しれない自分の意見を主張できる場というのは民主主義において非常に大切なことではないかな、という気がします。
逆説的に言うと、目安箱って割と先進的なシステムだったのかもしれませんね。
この3連休にでも他の省庁の政策にコメントだしてみようかなぁ。
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