2011/03/13

生存報告(1)

東北地方太平洋沖地震が起きた3月11日14時46分、東海村のJ-PARCに居ました。
今はつくばに移動してきて一息ついた状態です。
上水はまだ復旧していませんが、十分生きていけます。
この出来事を忘れないためにも、今覚えている事を時系列で記録しておきます。

地震の当時、担当装置の制御室で業者さんと打ち合わせを行っていたところ、窓ガラスが鳴る音から地震に気づく。
弱い振動が長く続いていたため遠くで強い地震が起きたのではないかと予感し、少し緊張し始める。
徐々に揺れが強くなりはじめ、かなり大きな地震だと認識。
揺れが非常に長く続いた後、このまま弱まりそうな気配を感じて少し安心したところ、ドン!と立っていられないほどの大きな横揺れが。
その後、強い揺れが続きながらも徐々に弱くなっていった。
(反省1:机の下に隠れておいた方がベターだった)

どのタイミングかははっきりと覚えていないが室内は非常灯を残し完全停電。
鞄と上着を急いで装着して制御室を飛び出たところ、周りにも多くの人が居て揺れが完全に収まるのを待つよう指示された。
最初、通常出口に向かって逃げようとしたのだが、すぐそばに非常口があることを指摘され、扉を開いて脱出。(反省2:非常口は常に認識しておくべき)

建物の外周は明らかに沈下しており、1mほど沈んでしてしまっている箇所もあった。
周りの人と当時の状況と揺れの恐怖について話をしながら駐車場に移動。
ぱっと見る限りけがをしている人は居ないようだ。
人員点呼が始まったが、どうも海の方から「ゴゴゴゴゴ」と低い音が聞こえているような気がした。
地震の後ということで津波を強く懸念していたのだが、点呼は続けられている。
駐車場は海にかなり近いので早く逃げなくて良いのかとやきもきしていたのだが、iPhoneで津波警報が出ていることを教えてくれるとの情報が入り、少し高い場所に向かって移動し始める。
(反省3:ここで津波の危険があることを強く主張すればよかった)

移動中、道路に大きな段差が多く見られた。
幸い、退避に使う道路は大きくても10cm弱の段差だったが、数mに渡って50cmほど沈下している箇所もあったようだ。
無事、別の建物の駐車場に移動したところ、3階から窓が外れて車に直撃していた(当然車は破損)。
建物から逃げてきた人に話を聞いたところ、中は棚が倒れてひどいことになっているらしい。
そうこうしていると強めの余震があり、緊張が走る。
本震に比べれば弱く、被害はなかったが、建物は左右に大きく揺れていた。
この建物は古いため、耐震強度が弱かったのかもしれない。

長くなりそうなので、まずはここで一区切り。
続きはまた書きます。

なお、私は非常に恵まれた状況にあり、不便ながらも通常の生活に戻ることができています。
一方、もっと被害がひどかった地域の方は生きていくのも困難な状況にある方がたくさんいるかと思います。
一人でも多くの方が生存できること、そして一刻も早く復旧が完了することを心からお祈りします。

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