2011/03/13

生存報告(2)

続きです。

その後点呼が完了し、欠員、負傷者が居ないことを確認。
各自解散となった。
同じ職場のメンツはとりあえず敷地の外にある自分の居室がある建物に歩いて移動することに。
たどり着いたら宿舎の外で皆待機していた。
また、後から何人か遅れてやってきた人もいて、高速道路で移動中に地震に遭い、片側車線が崩落している脇をすり抜けてやってきたという話を聞いたりした。
また、ここでラジオやカーナビのワンセグ放送による詳細な情報が聞けるようになってきた。
途中、iPhoneなどによる情報も貴重だったが、やはり放送による情報もやはり大きな意味を持つ。
(反省4: 災害時において情報は生命線。情報収集できる端末を至る所においておくと役に立つだろう。)

なお、私は職場の人員掌握担当者なのだが、内線も携帯電話も全くつながらず、何の意味もなかった。
皆で話しているうちに、「リストを作ることにしよう」ということになって、確認できた人を紙で名前を書いていくということにした。
その後、帰宅した人などにチェックを入れたり、安否を確認するための携帯番号などをリストに加えたりしたのだが、後でこういう情報が必要だと気づいたため、一部チェックできなかった人が居た。
(反省5: 緊急時の体制についてはもっとよく考えておくべき。本当に大変なときに電話がつながるわけがない。また、担当者を決めるのも大事かもしれないが、今回の私みたいに仕事の都合ですぐ近くに居ない可能性は非常に高い。誰が中心になっても大丈夫なようにルールを決めておいた方が良いように思う。)

日が落ちきる前に明かりを確保するため、懐中電灯などを求めて居室のある建物に侵入。
部分的に壁が欠けたり天井がはがれかけていたりしてほこりっぽい。
部屋は散らかっていたが、思ったほどではなかった。
給湯室と事務室でポットと懐中電灯、電池、そして若干のお菓子を手に入れた。
今にして思うと冷蔵庫の中もチェックし、水を確保した方がよかったかもしれない。

続きます。

つくばの部分給水が開始されました。
これでずいぶんと楽になります。
ただ、明日から計画停電が始まると言うことで、まだまだ予断は許しません。

0 件のコメント: