2011/03/15

生存報告(3)

すみません。
ちょっと間が空きましたが続きです。


いよいよ日が暮れ始めた。
このまま歩いて家に帰ることも可能だったのだが、帰っても事態が好転するわけではないので皆と一緒に研究所の宿舎に逃げ込むことにする。
明かりは先ほど手に入れた懐中電灯。
周りには職場の事務の人の他、研究所へ実験にきたユーザーが散見された。
全体で50~70人といったところだろうか。
ユーザーは外国人の方が多いが、ラジオを入ってくる情報は日本語のみということもあって不安だっただろうと思う。
(反省6: 知らない人ということもあってやりづらかったのだが、もっと外国人をケアしてあげるよう動けばよかった。)

ちなみに、この時点でつかんでいた情報は
・マグニチュードは8.4(ご存じの通り、後に修正を重ねる)。
・大きな津波がどこかの町をのみ込んだらしい。
・原発が停止し、電気復旧の目処はたっていない。
・橋を中心に、道路が寸断されている。
といったところ。
いつ頃復旧されるか?という情報が一番欲しかったが、それに関する情報はない。
また、通行止め情報も橋の名前で呼ばれるので、具体的にどこかよく分からないことが多かった。
今にして思うと、メモを取りながら地図を見ながら確認すればよかったかもしれない。

宿舎なので毛布はそれなりにあるが、全員に行き渡ってはいなかった。
また、宿舎に食料と水が備蓄されているわけではないのでその辺をどうするかが問題だった。
自動販売機はあるのだが、停電で購入不可。
最近、災害時にも使える自販機があるが、あれは特に人が避難する場所において非常に重要だと思う。
手元にお菓子はあったが、とても全員に行き渡る量ではなく、これを食べてしまって良いものか非常に悩ましかった(少なくとも自分たちだけ食べ始める勇気はない)。
ただ、(大勢の人が並んではいたが)コンビニに残された食料が意外と多く、我々を含めた各グループがそれなりの食料を確保している様子(ここで衝動的な買い占め等が起きていなかったことは単純にすごいと思う)。
ということで、無理に全員で食料を共有しなくても良いということがはっきりしてきたので、我々のお菓子も食べ始める。
ただ、まだ食料を手に入れてなさそうな人もいたので、そちらにも回してあげた。

とはいえ、食料もずっと持つわけではないので、近くの避難所が(特に食料の面で)どうなっているか調べてはどうか?と事務の人に提案し、自転車で偵察に行ってくれる人にお願いした。
が、結論から言うと食料も毛布もは無かったらしい。
ただ、これから食料が配給される可能性はあるので、各自の判断で移動しよう、ということになり、だいたい半分ぐらいの人が避難所に移ったように思う(言い出しておきながら、僕は結局残ったのだが)。

まだ初日と言うこともあるだろうが宿舎の中は冷静で、談笑があちことから聞こえていた。
水なども事務の人が冷静に対応しており、共有の水が準備されていたように記憶している。
難しかったのがどのタイミングで帰るかの判断。
近くに家がある人はできれば帰りたいと考えるわけだが、渋滞がひどく、道路情報もろくにない。
ただ、9時ぐらいになるとさすがに車が減り始め、何人か帰ることを決断する人が現れ始める。
僕も決断に悩んでいたが、家で余っている布団を持ってきて差し入れた方が良いかなと判断し、(22時頃?)一度車を研究所内に取りに行ってから自宅へ戻ることにした。

先ほど手に入れた懐中電灯を手に研究所内へ。
話の通り渋滞は減っている。
ただし停電のため信号は無く、人の手で交通整理が行われていた。
懐中電灯で色々なところを確認しながら移動するが、所々で人が集まっている箇所がある。
後で聞いた話だが、所内でも宿舎のように一晩を明かした場所があったらしい。
道路は入り口近辺では特に問題が無かったのだが、J-PARCに近づくほどひどくなる傾向にあった。
そもそもこの近辺は砂地で、地盤が弱いことは指摘されていた。
地震が無くても道路が徐々にへこんでいき、早々に改修工事を行っていたような状況だったので、このような傾向があってもおかしくないように思った。
が、それにしてもその差は顕著で、新しい道路にもかかわらず破損は大きかった。

駐車場に到着後、その破損した道を恐る恐る超えることに成功。
無事、車で研究所の外に脱出することができた。
外の道は基本的には空いていて、信号が灯いていない以外は問題なく通れた。
ただし、橋梁は段差ができていて、通るのに注意が必要だった。
また、幹線道路である国道6号線に近づくと車が渋滞し始め、まだまだ渋滞が続いていたのではないかという印象だった。
他に印象的だったのは所々で家の塀が倒れていることで、地震当時近に人が居たら確実にけがをしていただろうと思う。

その後、無事家にたどり着いてから使っていない布団と毛布を車に乗せ、研究所の宿舎に引き返した。
布団を渡した後、再び家に戻って寝る支度を始める。
いつ余震が起きても良いように上着を着たまま寝ることにする。
電話は通じないがメールはつながったため、 寝る前にメールとtwitterにて無事を報告して就寝。


続きます。

職場の方が今週いっぱい自宅待機となりました。
被災地からは少しでも人が減る方が良いと思い、実家の方に疎開してきたところです。
避難生活を送っている人が多くいると思うと少し心が痛いですが、募金など今の私にできることをやっていきたいと思います。

また、投稿しようとしたら静岡で大きな地震が起きましたね。
余震はまだまだ起きそうです。
場所によらず、気をつけた方が良さそうです。

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