2011/03/19

生存報告(5)

続きです。
この辺から徐々に普通の生活へ戻り始めるので内容はちょっと薄いかもしれません。


地震から3日目。
同僚が職場の様子を見たいというので、朝から職場へ向かう。
途中、ドラッグストアに大行列ができているのを確認。
流通がどうなっているのかもよく分からないし、今後の物資がどうなるのか少し不安になる。
また、そろそろ電話が不通につながるようになってきたので、友人の生存確認(&自分の生存報告)を何件かする。
幸いなことに、私の知人・友人は無事難を逃れたようだ。

職場では特に得られるものがなかったのでおとなしく帰宅。
昨日まではアパートのタンクの水が残っていたのか、上水が使えた時間もあったのだが、この日は完全に停止。時間を区切った部分給水が午前中にある、という話だったのだが、トラブルがあったのか水は出ない。
給水所が近くの公園ということだったので、そこまでバケツをもって歩いて行く。
給水所は長蛇の列ができていたものの、特に混乱はなく、粛々と給水作業が進められていた。
バケツは10Lのもので、9分目ぐらいまで入れてもらったが、10kg弱はそれなりの重さ。
しかも、ふたとかが無いので交代で慎重にバケツを運んだ。

帰宅後、同僚が風呂に入りたいと希望。
風呂と言っても、ポットでわかしたお湯で髪を洗って体を拭くぐらいのもの。
それでもやるとやらないでは随分と違う。
私は既に前日体験済み(そのときはお湯すらなかったが)なので、要領はだいたい分かっている。
1.洗面所に湯を張って、髪を濡らした後にシャンプー。
2.適当にすすいでタオルで髪を拭く。
3.残った水でタオルを濡らして体を拭く。
だいたいこんな感じだ。

あとは基本的に情報収集。
重要な情報としては
・つくばエクスプレスが全線復旧。本数は少ないが秋葉原までアクセス可能に。
・夕方より数時間部分給水が行われる。
・どうやら翌日(14日)から関東一円で5つのグループに分けた計画停電が行われるらしい(記憶によると、13日から電力が足りなくなるのでは、という話もあったが、停電は回避されていた)。
といった感じ。
このまま被災地にいても何かできることがあるわけではないし、むしろ物資不足を助長するだけなので実家に帰ることを検討し始める。
昨日連絡があったgoogleの掲示板で職場の対応はだいたい見えていたが、明日の朝に職場で機構長より職員に向けた放送があるということで、それを聞いてから最終的な判断をすることにする。

また、夕方の部分給水は予告通り行われ、無事風呂桶に水を張ることができた。
これで水に困ることはなさそうだ。
同時に米が炊けるようになったので食事をつくる。
この日はカレー。
適当に作った割にはそれなりにおいしかった。

食後は計画停電に関する情報を求めてテレビやwebを見るも情報は錯綜。
10時頃になってようやくグループ分けに関する情報が入り始めるも、つくばは第1グループ(3時間停電×2回)と第3グループ(3時間停電×1回)両方に入っている。
しかも、これは暫定的な情報とか言うし、よく分からない。
きっと、東京電力も混乱していたのだろう。


続きます。

なお、現在福岡に避難してきていますが、22日(火)から東海村に戻ります。
まだ自宅待機でも問題無さそうなのですが、そろそろ職場の復旧作業が始まりそうなので、そちらを手伝うことに決めました。
人命すら危うい地域がある中、復旧にむけた取り組みができるというのは幸せなことではありますが、物資が不足している中でやれることといったら被害状況の確認と片付けぐらいのものでしょうか。
とはいえ、それも地震から立ち直るための大きな一歩です。
茨城北部は水道が完全には復旧していない上、物流にも難があるようですが、自分のできることを精一杯やっていこうと思います。

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