2011/03/23

生存報告(6)

続きです。


週明けの朝、地震後初めて職場に皆で集合。
皆、地震当時の様子をお互いに報告。
とにかく無事で何よりだった。

そうこうしていると機構長からの放送。
設備が万全でないためか音が大きくなったり小さくなったりしているが、とにかく耳を傾ける。
昨日の段階で非公式情報は回ってきていたのだが、16日まで自宅勤務、と正式にアナウンスされた。
また、所属部署でもう少し細かい打ち合わせを行い、この週は何もできなさそうなので、21日までは自宅待機でも問題ないのではないかということを話し合った(後日、職場全体でも同様の対応となった)。

これを受け、九州の実家に帰省することを決意。
その日に飛行機に乗るのは難しそうなので、とりあえず東京の弟に連絡して一泊泊めてもらうことに。
この日は計画停電初日ということで電車まで止まる大混乱となっていたが、つくばエクスプレスが14:30まで動くという情報を確認。
職場に車を置いて電車に乗ることにした。

同僚に駅まで送ってもらうついでに昼食。
水がようやく出始めた、という状況だったが、いくつか営業している店があったのでそこに入る。
とりあえずはランチだけ、ということだったが、徐々に生活が復旧していることを感じる。

その後、電車に無事乗ることができ、東京まで移動することができた。
電車の中は大きな荷物を抱えている人がちらほら見受けられ、被災地から逃げている様子だった。
無事に弟と合流し、アパートでネットで翌日の飛行機の予約や情報収集を行った後、宿泊費代わりに弟に焼肉+アルコールをおごる。
ここまでくると完全に元の生活だなぁ、と思いながら食事を楽しませてもらう。
こうして、何かが引っかかりながらも徐々に普通の生活に戻っていくのであった。


地震からの避難についてはだいたい書き終えましたが、もう少しだけ続きます。

ちなみに、昨日東海村に戻ってきました。
途中、つくばセンターで少し買い物をしたのですが、若干商品が少ない以外は普通の状態に戻っているように見えます。
また、東海村もようやく全域で水が出始めたようで、つくばよりも不便ではありますが、普通に生活できるような状況になってきています(私の家がある地域はもう少し前から水が出ていたようです)。
ガソリン不足は問題ですが、生きて行くには全く問題ないでしょう。
1週間前は給水車まで水をもらいに行っていたのですが…

もちろん、本当の意味で以前と同じ状態に戻るにはもっと時間が必要かと思いますが、とにかく生活基盤が復旧することの意味は大きいです。
このペースで、東北の皆さんも普通の生活が取り戻せるようお祈りいたします。

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